unconscious 脳

完成しない何かを書くADHD脳の片付かない本棚

断捨離 執着と自己信頼

 

執着、あるいは依存と言ってもいい。

それが私。

 

これを活かし、仕事やスポーツに良い結果を出してきた。

と。

 

ともあれ、この一週間ほどしてきた断捨離の全貌が見えてきた。

もちろん、まだ難関がある。

これを続けることでさらに見えることがありそう。

 

 

片付けするから、棚を買おう!Amazonチェック!

というのが今までの流れだ。

そうじゃない。減っていない。増えている。

 

まずは捨てることを最優先した。

 

まずは大型ゴミの処理。

だれもが断捨離への足が遠のくポイント。

まずその費用。

私の住む地域は400円の券を購入し、予約をしなければならない。

 

私「一枚400円かあ、もったいないなぁ〰️」

天の声「そういうとこそういうとこ」

 

意を決して、コンビニで10枚買う。

これを「断捨離券」と名つけ、得られることはもっと多いと信じる。

次に一体いつどこにどうやって出すのか。

電話をする。その地域の回収日はいついつですので、それまでに、サイズを計りそれにあう券をはり、番号を記入、何を出すのか2日前までに電話を下さい。

ちなみにテレビはさらに面倒くさい。

このスケジュールを作ることが、もう辛い。

 

私「むりっ」

天の声「そういうことそういうとこ」

 

というわけで、仕事の休みをとった

ワーカホリックの私が!すごい。

 

私は私の時間を何で埋めてたの?

 

どんどん捨ててゆく。

棚やチェスト、クローゼットの恐ろしさを知ることとなる。

あと、100円ショップの箱。お菓子の缶の入れ物。

 

目に見えないものは、使われないまま溜まりに溜まる。滞る。

ムダのラッシュ。

同じものがいくつも出てくる。例えばのり。

棚や引き出し、整理する為のものが、

無駄を溜める場所になっていることを知る。

 

捨てた。捨てに捨てた。

 

さて、このタイミングで

とある断捨離の第一人者的人のYouTubeがオススメで入ってくる。

 

薬の話だ。

 

以前に病気になり、その時処方された薬が良く効いたのだそうだ。

なので、その薬をとっておく。もう治っているのだが、とっておく。

また、その病気になるかもしれないと。

 

ドキとする。

 

病気になるかもしれないという不安がそうさせる。

 

その不安は未来への確約です。

自己信頼が足りてない。それが原因ですと。

 

もったいないから、とっておく。

もしかしてそうなるかもしれないという不安がそうさせる。

その不安は現実化する

 

激しくドキドキした。

 

しっかりととっおいた薬がある。前日まで悩みに悩んでギリギリまで少なくして。それでも捨てられなかった。

睡眠導入剤胃潰瘍になった時から8年続けている薬。

この薬が無ければ不安だった。本当に不安だった。

これさえ飲んでいたら、まあ、どうでもなると。

 

瞑想をはじめて、

私はこの薬を飲まなきゃいけないくらい、私が私を私の身体を痛め付けてきたのだと、ごめんねと。

私の魂の器をボロボロにしていた。

そう思った時から、薬を止められたのだった。

 

それでも捨てられなかった。

 

こんどこそ、捨てた。

 

えらい。

 

そうすると、

もうほら大丈夫、と何かがささやく。

 

 

ああ、これは、何にでも言えることなのだ。

また、部屋を見渡してみる。まだまだ捨てられる。

 

服、カバンをさらにチェックする。

もったいなくて捨てられないもの。

私を信じてみる。

今これを捨てても、さらにステキな物が手にはいる。

ステキなものだらけになると。

 

 

そして、もうひとつのメッセージを目にする。

妥協して買ったものに囲まれていると妥協した人生になる。

 

何となく100円ショップで買ったのもの。Amazonで買った安い服。

そうだ、いつのまにか妥協の人生歩んでる。

 

全て捨てよう。

ここから私の選ぶステキなものだけにしよう。そしてそうなってゆく。

 

断捨離は自己信頼。

 

 

 

さて、私の執着と依存は何からきているのか、深層が見えてくる。

 

まだ、捨てられないものがある。

それについてはまた。

 

 

少しずつ、循環している。

 

聞いてくれて、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トリップ

 

瞑想で落ちた状態から、少しもどりつつある。

まるで全知全能になったかのような気分から一転、自己否定激しくなり、突破口が見えないでいた。

エゴ爆発のようになっていた自分に驚いていた。

数日前、コメダで私の隣のボックス席にネットワークビジネス人達が座っていた。上層部の人は独特なオーラを放っている。

それもそれで良くて、受け入れ難さはあるものの、私の耳に入ってくるその発言は少なくとも他責ではない生きかたをしているように感じていた。

 

ただ、その言葉に共感している人々のその脳の働きを懸念していた。

そして、それは正しく私ではないか。

言わばトリップ状態。

 

これが、パラレルワールドかと思いもしたが、ただ、外側に手を伸ばしているだけでしかない。

YouTubeのさまざまな瞑想動画でよく「内へ内へ、下へ下へ、地球の核へ」と、意識をおろして行きますよ。と、言われたままのものは、まだ自分の中で深掘りしたようでいて、そこで感じられたものは、今までの知識の中の情報でしかないのではないか。インナーチャイルド?作り出された情報に自己を反映させて、その状況を作っているだけでは、ないか。

 

脳のメモリは表面上簡単には塗り替えられ、塗り替えた本人が踊らされている。

 

そうやって気分は下がってゆく。

 

違和感が拭えなくなる。

 

この今の脳は誰の脳なのか。

 

意識が現実化するというが、意識が現実だ。良くも悪くも。

ただし、そこには魂が関与している。無意識、深層、そこに自分がいる。

 

 

本当の自分がざわざわと騒いでいる。

ざわざわする。

ここで待ってるよ、と言われている気がする。

 

 

ずっと求めていたことが、そこにきっとある。

 

 

まだ旅ははじまったばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堀り下がる何か

なんだろう、

一日中、尋常じゃない眠気に襲われている。

 

瞑想し始めてから一ヶ月、体調が良くなり安心感に包まれていた。

アファメーションというのか、自身を受け入れて、流してゆく感覚は、まわりも変化させていく。

目の前の事象は自身が始まり。

外ではなく、すべて自身が始まりだと。

それを内へ内へと抱き締めながら許してゆく。

 

 

そうして掘り下がると、奇妙な体験をする。まるで子供のように泣き出すことが何度かある。

それを繰り返すうちに、今、

少し、瞑想が怖くなっている。

今日からだ。

 

陰陽でひとつだとして。

 

失われた記憶の感覚はずっとある。

何も失われてない気もする。

そこに、たどり着く必要があるのかは不明だけれど、

 

思い出そうとして、急に頭がグルグルして、交通事故にあったり倒れたこともある。

そこに、行こうとしてるのか。

 

少し、脳が疲れている。

 

 

おやすみなさい。

眠りには持ち込まないように。

何の形であれ、まだわからない何かだとしても、私であるなら、愛して眠ろう。

 

それだけで、いいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

ADHDと瞑想

ADHDの脳は目まぐるしい。

 

溢れてでる文字達は手にとって熱く、冷たく、時に脆く、ふわっと透明になったかと思うと、水をびっちひ含んだように重い。

これらはそれ自体バラバラに動き始める。

カバンに詰めようとしてもはみ出したり、すり抜けたり、持とうとすると尋常ではない重さになる。

このことを誰かに説明出来るだろうか。

 

やはりどうにかカバンに詰めこむよりない

理解されない文字はどこにも消化されない。

 

 

点と線の感覚が強かった、ずっと。

それは真っ直ぐに張り詰めた線、そして点。

点は無限であり、ゼロだ。

このブログのunconsciousはもう30年ほど前、学生の頃にに小さな携帯ガラケーで作ったHPの名前。

もうそれが無くなると知ってコロナをきっかけに、その頃の文章を引っ張り出していくつか上げていった。

 

やがて、感覚はキューブになった。積み上げられたキューブの上に立っている感覚。それはエンドレスで回る。なぜなら、全てが違う色であったり、全てが同じ色だった。

ぐらつく安定しないキューブ。足元はいつも不安定だ。

 

 

宇宙は猛スピードで回る。目眩のように。その感覚は今でも変わらない。

 

 

球体。

そう、球体を感じるようになったのは、いつからか。

ああ、全ては球体で回る。循環している。と感じた時の興奮はなかった。

ニコラ・テスラフラワーオブライフ、トーラス、カタカムナ、陰陽、曼陀羅、フィボナッチ、子宮

それはエネルギーだ。隠されたエネルギー。

それが、ここにある。ここに。

外ではない、内にある。

 

 

私の脳内と外の人格がバラついていた。いや、今もまだ。

カバンは抱えたままで。

 

 

えと、最初のテーマは何でしたか?

基本、直しなく書いて投稿するので、最初書こうと思っていたことからいつも余裕でズレてゆきます。

それで、オッケーとして下さい。

 

そう、スピリチュアルやヨガの講習を受けようと思ったのには、球体への繋がりをとても感じたから。

量子、次元上昇、潜在意識、パラレル、統合、チャクラ、

何か一点に繋がる気がする。

 

 

はじまりは瞑想だった。

瞑想で驚きの連続が始まる。

 

そのうちの、ひとつ。

脳の落ち着き。

集中出来る。余裕が出来る。

いつも時間に追われていた。

上手く瞑想出来た時は、時間がサプライされるのだ。

 

時計を見るのが苦手だった。

少し具合が悪くなる。

あの一定の周期で回るということが、どうにも逆に歪められている感覚だ。

一定なわけがない。

 

瞑想でわかることは、時間は一定ではないと証明されることだ。きっとこれは操作出来るようになるのではないか。

 

ADHDの方には瞑想をおすすめします。

いや、ADHDと一つにテゴライスするわけではなく、個は個でしかないけれど、

もしも、枠に入っていたなら、早く抜け出るべきだし、これからはあなたの時代だから。

 

瞑想の凄さは、苦手な日常を深掘りさせられる。ふんわりしたものから強固なものになってゆく。それを今体感している。

それは、グラつかない足元への一歩になる。

 

 

 

眠くなりました。

おやすみなさい。

 

もうこんな時間てすね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~はじまり~

 
 
実は、2020年8月初旬、 
突然に何かに駆り立てられた。
どうしてもこの講座を受けなければいけない!
と、スピリチュアル系ヨガ系の2講座に申し込んだ。合わせて65万円。
 
今までだったら完全にありえない。
この系統で教えを乞う=洗脳。しかもお金を払う、謎。
この私の脳は誰にも操作させない。そんな感じだ。
 
だが、あの夏の日、Instagramにこの講座が流れてきた瞬間、これだと。
 
コロナがなければ、これはなかった。このブログも。
何かがシフトしている。
 
申し込みをして約1か月。そうまだ1か月しかたっていない。
驚くべきことが、起きている。
 
このことを、皆に伝えていこうと思う。
私の中のずっと言葉にならなかった何かを解き放つように。これは私のため。
そして、この変化は誰かの何かになる。そう信じてる。
 
もう、私は私の覚醒を疑っていない。
だから、覚醒への道
 
 
お楽しみに。
 
 
 
よい夢を。
 
 
 
 
 

一体化へ ~今、ここ~


f:id:alpha68:20200910231141j:image



私たちは斜め左回りに回りながら

太陽を巡っている

猛スピードで回り続けている

 

私は海にいる

波打ち際に立ち、波の動きを見ている

私は停止している

全く停止している

 

風が吹いている

雲が流れている

波が動いている

 

一体

動いているのは誰なのか、どちらなのか

 

海の水は中心に集まっている

紙コップに紐をつけてグルグル回したら入れた水がこぼれないように

海はそこにおさまっている

グルグル回りながら

 

宇宙から見た地球は球体を保っている

水のない地球はどんな形をしているのだろう

 

そう

何も停止していない

何もかもが動いている

 

時は

 

時は刻まれようがない

全てが動きながら

一体になる

 

それは限りなく有限なゼロ

 

目を閉じて感じたらいい

動きながら一体になることを

過去と未来は自分からつながる線ではない

過去も未来も一体であり、過去も未来も創り出すことが出来る

今ここ、は自分自身

 

 

 全ては自分が創りだす

 

 

 

 

 

今、ここ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



地球は1日に1回転して、1日で元のところにもどってきますから、24時間で4万km動いたことになります。 これを時速に直すと、 時速約1700kmになります。 つまり、赤道の上の地点は、いつも時速1700kmで動いているというわけです。