unconscious 脳

完成しない何かを書くADHD脳の片付かない本棚

「断層」7 取調室

 

 

お前が殺したんだろ。

 

 

 

女の目の前には、一枚の写真が置かれている。
スーツを着た若い男。ネクタイはしていない。胸元、肌が見える。茶髪。真っすぐに立ったつもりらしいが、少し右肩が傾いている。
警察署で撮られたものらしい。初めて見る写真だが、確かにこの男を知っている。


その部屋は、テレビドラマでみる取調室のような作りではなく、新築のオフィスのコミュニティルームといった感じで、壁もオレンジがかり、部屋の隅にはコーヒーマシンも設置されている。立ち上がって自由にコーヒーでも飲めそうだが、目の前ではテープレコーダーが録音状態で回っている。
暴力団関係の刑事達は、どちらがそちらの方か、わからない。広いテーブルの一番奥に座らされた女は、かわるがわる向かい側に座っては、あの手この手で話してくる刑事たちの質問に、一言も答えていない。
脚を組み、瞳を閉じている。


Kの携帯からあんたのところにな、一番電話がかかっているんだよ。知ってるんだろ。Kはどこにいるんだ。


居場所を間違えている。女は思う。誰も時に。

それにしても警察署に来て、一体もう何時間になるのだろう。

 

 

 


その日の朝方、女がやっと眠りについた頃、インターホンが鳴った。男だと思った。
警察だと、声は優しい口調で言った。ドアを開けたのは一人の若い刑事だった。
署の方までね、来ていただくことになってね。
お話をね、聞かせて下さい。大丈夫かな。
と、笑顔で言った。


少し時間を下さい、と女は言った。
部屋の壁には昨夜脱いだ呂の着物が掛かっている。それを背中に鏡の前に立ち、自分の瞳を見つめた。
それからゆっくりと化粧をし、クローゼットを開けると素肌にきつめの黒のスーツを選んだ。胸元が鋭角に深く開いている。そこに一度チョーカーをつけ、そして外す。
スーツに合わせた高めの黒ヒールを箱から出しバッグを、と、そこで鏡に再びチラと視線を走らせる。
バッグは赤を選んだ。
その作業は女にとって仮面のようなものだった。
再びドアが開くと、一人はオーと頭の悪そうな感嘆符で女を見た。
もう一人刑事がいたらしい。マンションの裏、駐車場側から駆け付ける。鉄則なのか。誰かが窓から逃げないか見ていたのだろう。
誰もいないのに。逃亡するものなど。

 


雨、女が呟く。

 

そうですねぇ、定番のトレンチを着た背の高い新人刑事が、いやですよねぇ、天気予報ではね、雨なんです、降らなきゃいいですね、とハンドルを握りながら甲高い声で無邪気に答えている。
少し先輩らしき体育会系の刑事はあきれ顔で新人をチラと見る。
警察のよく磨かれた黒の車は午前中のオフィス街を走っていく。
大橋を過ぎる。毎晩タクシーで通る同じ道だが、この映像は見たことがないと感じていた。数年、夜しか見ていない。

 

 

頬を掠める風景は、鋭角で時折、人の心を削ってゆく。その空間の隙間に、自分の今いる場所が繋がらない。過去と未来をどう繋げていいのか、わからなくなる。

間違っている、どこかで間違えてしまった、そんな気がしている。
だが自身が選んだことなのだろう。

 


空はやはりどんよりしている水族館の中にいるようだと思った。あの少女が脳をよぎる。


雨は降らなかった。