unconscious 脳

完成しない何かを書くADHD脳の片付かない本棚

「逃亡」7 明るい

  

朝だった。大浴場に行くことにした。

 

ロビーの手前でまでいくと、例の老人がいた。彼は自販機の扉を開けようとしているところだった。また開け間違えやしないかと少し期待したが、大丈夫なようだった。
すると彼はその中身をセッセッと取出し、今度は新聞紙や綿を詰め込み始めた。

 

 

    ねえドクター
    それはボックスではないのです

    ねえドクター
    それはただの入れ物ではないのです


    腕がありえない方向に曲がっていたのです

    頭の皮膚がぱっくりと裂けていたのです

    記憶が飛んでいたのです

    人工呼吸が間に合わなかったのかわからない     のです

    みな元気でいるでしょうか


    私は日々をもっと大切にするべきでした

    するべきでした

 

    どうかドクター
   

    冷血でいて下さい

    どうか
    生死には冷酷でいて下さい

    安易に涙など
    流さないでいて下さい


    どうか


    それは確かに
    ただの入れ物ではありませんでした

    ありませんでした

 

 

お忙しいですね。

季節の変わり目はね。

そう答えた老人はなぜか白衣を着ていた。

 


露天風呂には誰もいなかった。白樺がまわりをかこみ、空気は澄んでいた。
風呂はとても大きく、奥へ行くほど深くなり、どんどん進んでいった。
とても気持ちよかった。

目の前を走る人が行き過ぎた。風呂のまわりを走るランナーがいるのだった。

 

 

この人は何をしているのだ?

すると通りががりのひとが
あの人いつも走ってるんです。

と何故だか得意げに教えてくれた。そして、

あの人止まれないんです。止まってはいけないんです。いえ、どうしたら止まれるかわからないのです。

 

いえ、

 

そこまで言ってから、しばらく悩み始めた。すると急に気の抜けたように、

からっぽなのです。いや、ああ、そうそう、この人は道路?

 

私は温泉にのぼせかけたので、もういいですよ、と言った。

 

すると今度はやけにはっきりと、

「ただ」なのです。

ただ?

そうです、ただ、です。

 

と安心したように去っていったが、また立ち止まり、

もっと、とという声が聞こえたがその先は消えていった。

 

ランナーの鼓動だけが響いていた。


あとで知ったことだが、大浴場は湖なのだった。

 

 

 

いつ、湖に飛び込んだのか。

あれは誰だったのか。

 

時間さえもわからない。